歴史は浅い!?が、誇りは高い!世界一 流通している事実は、日本人として、何としても使いたくなる!? [本職より凄い!工具・Tours・道具 ]
齋藤喜一は、
当時津田駒工業のエンジニアでした。
派遣されていたボンベイで、
とある男と知り合い、
京都にある会社へ入社します。
1939年の事です。
山崎宗次郎は、
1937年に 病をわずらい、
海軍の工廠(こうしょう)を退職し、
2年後の1939年に、
齋藤と同じ会社へ就職します。
そしてもう一人、
宇城正行は、
齋藤と山崎が入社した3年後の、
1942年に、
日中戦争から復員し、
二人と同じ会社にに入社します。
以上の3人は技術者であり、
先の二人が入社した、
1939年に、
日本海軍航空隊がもちいる、
整備分解工具の、
専門工場となった、
「 京都機械 」のことです。
そこで知り合った三人は、
1950年5月に、
その京都機械を退社します。
同じ年の1950年に、
齋藤たちは、
京都市南区比永城町に、
24坪の工場を借り、
その3人含め、
合計8名で新たな会社を創業しました。
KYOTO TOOL Co., Ltd. : 京都機械工具株式会社
「 KTC 」 です。
以前の、
京都機械で知り合った3名位は、
その当時に、
アメリカ製のソケットレンチや、
バーコ社(スウェーデン)などの、
ハイクオリティーな工具に、
感銘を覚えていました。
なかでも 山崎は、
いち早く 自動車の生産に着手していた、
トヨタへアプローチして、
車載工具としての採用を、
取り付けていました。
創業開始当初、
社長は齋藤が務め、
最初はスパナを手がけていました。
1952年に、
中京区西ノ京中合町の土地を買収。
御池工場となる、
敷地1653平方メートル を 建設します。
10月に本社を移転し、
鍛造工場も整えます。
1961年には、
アメリカの、
フラーツール社への輸出を開始して、
「 車載工具提供・一般販売・輸出 」を、
同時に手がけ始めます。
1970年に、
輸出製品向けに特化した、
「 北陸ケーティシーツール株式会社 」を設立し、
1971年3月から操業を開始します。
時代を一気に駆け抜け、
8名の工場から、
モンスター事業となった KTC は、
1980年の3月に、
大阪証券取引所第二部と、
京都証券取引所に上場をはたします。
その翌年の1981年に、
齋藤 が 社長をしりぞき会長となって、
それまで専務だった 山崎 が 社長に後任、
宇城 が 副社長 と なります。
その後も、
企業の勢いは止まる事を知らず、
ブランド 「ネプロス」を発表し、
鈴鹿サーキット公認ツールに認可される。
中国福建省に、
「福清京達師工具有限公司」を設立。
21世紀バージョンツールを、
2002年に発売。
企業ミュージアムである
「ものづくり技術館」を完成。
などなど、
欧米やヨーロッパなど、
他国の老舗工具メーカーと比較すると、
歴史は、
まだまだ浅いのですが、
日本を代表し、
世界中のメンテナンスや、
DIYを行っている所に、
流通しているmade inJapanと言えるのが、
世界一量産されている自動車ブランドと、
そのグループブランドである車両の、
車載工具として採用されている事が、
規模として、
膨大である事は、
「 ものゴッツーーーーーーーー凄い!!!!!!!! 」
日本の誇りを手にして、
自分を自分でメンテナンスすることが、
明日を変えていく第一歩と・・・・・・・・。
お時間いただき、
ありがとうございました。
また、
お立ち寄りください。
宜しくお願い致します。
これも書かせて頂いています!
↓ ↓ ↓
カバンBOOK です。
お時間のある時に、覗いてやってください m(__)m
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2017-02-10 16:05
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